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日本におけるミルクの歴史

ミルク文化のはじまり

紀元前6500頃、牛は中東(トルコなど)で家畜化されたと推定されています。それ以降、西アジアでの広大な草原にミルクの文化が発祥しました。

さて、日本でミルクの利用が始まったのは6世紀頃といわれています。当時、牛乳は仏教と深いかかわりを持っていました。つまりインドから中国、朝鮮を経て仏教が日本に伝えられた時に、なんとミルクの文化も同時にやってきたのです。

仏教とは紀元前5世紀の初頭、釈迦がインドで始めた宗教ですが、その釈迦が生涯「牛乳の神髄」を求め続けるようになった話しがあります。

釈迦がまだ太子であったころ、奥山で一週間に1食しかとらない絶食の厳しい修行に励んだそうです。悟りをひらいて衰弱しきった体で下山したとき、たまたま通りかかった長者の娘がいっぱいの牛乳を釈迦に捧げました。その牛乳を一口飲んだ釈迦はこれはど美味なものがこの世にあったのかと驚き、そこで悟りをひらいたそうです。

また、仏教の理想を記した涅槃経には「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐をだす」といった記載があります。醍醐が最高の美味だったそうです。「醍醐味」という言葉がここから来たことは容易に推察できます。

これら5品はいずれも乳製品であり、酪はヨーグルト、酥は濃縮乳、醍醐はチーズかバターオイルのようなものだったと考えられています。

ミルク文化のはじまりイラスト

仏教が日本に伝来したことで、牛乳の高徳の教えが広まり、日本におけるミルクの基礎が確立されました。

ミルクと薬

以後、乳製品は貴族の間で滋養強壮剤として重宝され、奈良時代から平安時代にかけて、酥が盛んにつくられました。三宮(天皇・皇后・皇太子)に供御した牛乳の量は1日約5.7リットルだったそうですので、この時代の天皇家ではかなりの量の牛乳が利用されていました。

しかし、平安末期になると、ミルクは急に利用されなくなりました。戦乱が多くなりそれまで牛乳を利用していた朝廷の勢力が衰えたことと、朝廷にかわって政治を司るようになった武士達の間では牛乳はなじみがなく、大豆を利用した味噌や納豆といったものがよく食されたことなどが要因でした。

再度、日本でミルクの文化が芽生えたのは、8大将軍・徳川吉宗のときです。吉宗は馬術に興味を持ち、馬の医療用に牛乳やバターが必要だったので、白牛雌雄3頭の輸入を進めました。

『安房誌』という書物には「享保12年、将軍徳川吉宗は、インド産白牛雌雄3頭を輸入し、さらに嶺岡牧場(今の千葉県)で放牧、繁殖を試みる」という記録が残っています。さらに牛乳から酪酥(白牛酪)を作り、薬用にしたとも書かれています。これが、今の酪農の元祖とされています。

寛政4年、11代将軍・徳川家斉のときに嶺岡牧場の白牛は70頭までふくれあがり、その一部を江戸に移して白牛酪の製造を始めました。さらに家斉は医師の桃井虎に『白牛酪考』1巻を書かせて薬効を一般庶民にも知らせました。この時代、白牛酪は主に将軍家や大名の間で肺結核に効く妙薬とされていました。

ミルクと薬イラスト

ミルクの普及

1853年の黒船来航以降、日本に西洋文化がどんどん入ってきました。西洋文化は日本に新しい思想、生活習慣をもたらしましたが、「牛乳を飲む」習慣もこのころ始まりました。

前田留吉によって日本で初めて牛乳が販売されたのは、文久3年(1863年)のことです。

文明開化に伴い、牛乳を飲む習慣が広がるであろうことを予測した留吉は、搾乳技術をオランダ人から習得し、横浜で和牛6頭を飼い最初の牛乳事業を始めました。

当時、日本人には牛乳を飲む習慣がまだまだ普及していなかったため、商売相手は外国人でした。しかし留吉の努力の結果、牛乳事業は横浜から東京へと移り、多くの人が事業に参加しました。

その後、海外から優れた乳牛が導入・改良され、牛乳の需要の拡大とともに牛乳事業は盛んになっていきました。明治中頃には蒸気殺菌の技術をアメリカから取り入れ、殺菌牛乳と称して販売され始めました。

これが大好評であったため、次第に殺菌していない牛乳は販売されなくなり、ガラス瓶に入った殺菌牛乳が一般大衆にハイカラ飲料としてもてはやされるようになりました。

こうして日本における牛乳の飲用は、江戸末期から明治維新にかけて文明開化の嵐の中で始まりました。

ミルクの普及イラスト

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